創業者 高桑眞生の想い

創業者 高桑眞生より受継ぐ理念

"19世紀は鉄の時代"、"20世紀はゴムの時代"と言われ、その間、その特性を最大限に生かした技術を持つ国家、企業が世界をリードしてきました。

20世紀の後半は、物理、化学、電子技術が飛躍的に発展し、人間生活を急速に便利なものにしたにも拘らず、悲惨な戦争を繰り返し、地球環境すら破壊しました。

21世紀に入り、我々は過去の教訓を生かし、国家、企業だけの利益のみを追求するのでなく、皆が等しく物心両面の豊かな生活を営めるようにしなければいけない事に目覚め、世界は、真剣に解決策を模索しています。

トーホーポリマーは、シリコーンゴム製品専業メーカーとして長い歴史を持っています。この卓越した材料の性能を生かすのが、我々の使命だと、信じています。

そして、何処からの資金援助を求めず、自らの努力により、今や「シリコーンゴム製品ならば、トーホーポリマー」との評価を全世界から頂くまでになりました。

それでは、弊社の企業理念を述べます。

  1. 「高性能のシリコーンゴム製品」を全世界に供給する事により産業社会に貢献する。
  2. 「心のこもった欠陥のない製品」を、適正価格、納期厳守で顧客を満足させる。
  3. 顧客のニーズを求め、「独創技術の継続的開発」及び原価低減を推進する。
  4. 「会社の永続発展と社員の生活向上」の為、全社員が利益率の向上に努める。
  5. 地球の「環境負荷の低減」に全社員が、公私共に参加する。
  6. 如何なる環境下になろうとも、世間に恥じない「誇り高い企業」であること。
  7. 「シリコーンゴム成形技術では世界一」を維持すること。

トーホーポリマー㈱設立の経緯

1967年4月、私(33歳)は、シリコーンゴムの特性に魅せられ、その用途開発、及び製造を目的に10年間の会社生活を止めました。
当時シリコーンゴムは一般に知られているものではなく、特殊ゴムとして医療用製品、航空機用の部品に使用されているに過ぎませんでした。
私がシリコーンゴムだけに限定して企業を興すと言った時、勤めていた会社の社長は、こう言って反対しました。
「それは無謀だ。既に在るマーケットに売り込むのならば、君の優秀な技術で成功するかもしれないが、自分で用途を開発し、ユーザーを探すのは容易ではない。加えて、君は会社の経営経験がない。企業は金無しには動かない。君の希望する工場の規模には相当な資金が必要だ。技術者は企業の中で力を発揮すれば良いのだ」

私は昼間3社のゴム製品会社の技術顧問をし、生活費を稼ぎながら、夜は顧問先の工場にある試験機、製造設備を借りて研究開発に没頭しました。
私の最初の開発製品は、自動車の冷却ファン自動回転制御装置(エンジン温度が低い時はファンは回転せず。80℃を超えると回転する)のシリコーンゴムシールパッキンでした。驚くことにこの製品は、その後15年間も注文がありました。

当時、日本の一流会社は、個人とは取引しなかったので、1969年8月、会社組織に組変えました。資本金120万円でした。社員は2人でした。都市銀行には相手にされなかったので、信用金庫に口座を開設しました。
1970年、社員は6人に増えていました。全員技術者で、専門は化学、機械電気等、専門は異なっていました。この時の会社の経営方法は、自社で製品の金型図面を引き、金型屋に制作を依頼し、夜借り工場を使って製品を作っていました。私は、シリコーンゴムの性能を100%生かすには自分の工場を持つ以外ないと思っていました。1970年7月、東京から北西100kmの群馬県に1600㎡の土地を取得できました。

創業20年を顧みて

皆様、本日は大変お忙しい中を、我社の創業20周年記念懇親会に多数御列席下さり、私高桑眞生が社員一同を代表致しまして、心から御礼を申し上げます。御招きしました方々の9割以上の御出席を頂戴し、皆様方の我社への期待の大きさに、社員一同身の引き締まる心地でございます。

振り返り見ますれば、この20年間本当に無我夢中でやってきた感じですが、実に充実した年月でありました。昭和46年(1971)群馬工場を建設して以来、8回にわたる群馬工場の増築、そして増築に次ぐ増築と常に新技術を導入して参りました。私でも数年前のレイアウトを思い出せないほどでございます。昭和58年(1983)ヨーロッパ工場トーホーオレガS.A.の設立、昭和61年(1986)那須工場(那須トーホーポリマー㈱)の設立と、規模を拡大し、現在では国内で180名、スペインで120名の社員をかかえるに至りました。

トーホーポリマーではシリコーンゴム材料を用いて、数多くの種類の製品を製造して居りますが、我社の発展に最も寄与したものは、シリコーンラバースイッチでございます。昭和48年(1973)我社の独自の技術で開発された導電性シリコーンゴムは、我国最初の液晶小型電卓に採用され、以来、各種の電子機器のスイッチに採用され、現在では電話器、コンピューター、電子タイプライター、TV、VTRのリモコンには無くてはならない部品に成長致して居ります。我社のシリコーンゴムスイッチの累積販売個数は国内で4億5千万個、スペインで5千万個を超えました。特に国産品は市場クレーム皆無を誇っています。このことからも、我社の製品が如何に高品質であるかお分かり頂けると思います。

昭和42年4月、シリコーンゴムの他のゴムに見られない高性能に魅せられ、10年間培ってきた天然ゴム、合成ゴムの知識、経験をあっさり捨て、シリコーンゴム専業メーカーを目指して脱サラ致しました。とは格好良く聞こえますが、本当は二つの理由がありました。一つは、シリコーンゴムが今は特殊の用途に限られた材料費の高いものであるけれども、近い将来必ずや汎用ゴムになり、無限の用途開発が見込まれること、即ち仕事をしつつ「未来の可能性を追求できること」であり、もう一つは、この材料を使っている限り、きちんとしたプロセスで生産すれば、社会に貢献こそすれ迷惑をかけることはないことです。即ち心穏やかに生活できると信じたからでございます。皆様も御存知の如く、ゴム技術には現在でも未知の分野が多く、理論的には予想も出来ない事故が起こります。産業界では事故が起きると、先ず使われているゴム製品に疑いをかける事が通例となって居ります。私はこれが残念でたまりませんでした。19世紀は鉄の時代、20世紀はゴムの時代と云われています。現在あらゆる分野でゴムが使われていない機器を捜すのが難しいほど、ゴムは重要材料であります。

産業界では一般的にゴム材料の性能については高い評価を与えていますが、ゴム部品製造業者に対してはそれほどの高い評価を与えていません。高性能のゴム材料を生かすも殺すも我々部品製造業者の製造技術に掛っています。私の夢は、こうした社会通念を改革する事にありました。従ってトーホーポリマー㈱は、「使って安心」の製品を作ることに邁進して参りました。そして常に、シリコーンゴム材料の用途開発を生み出すパイオニアとして、誇りを持ち努力しております。

次に私は独立に際して「決して大企業に隷属せず、小さくとも独立を保ち続けること」「会社を私物化せず、社員一同のものとすること」それにはガラス張り経営を貫くことを決心しました。トーホーポリマーは、創業以来20年間どこからの資金援助も受けず、自らの力で順調に発展して参りました。皆様方の中には昭和42年創業で、20周年とはと合点がいかない方もあると思います。実は私は独立して直ぐに大病という打撃を受けてしまったのでした。結婚して間もない身重の妻と二人で、それこそ寝食を忘れ働いた結果、たった1年で過労から来る肝臓膿瘍に患ってしまったのです。病名不明のまま激しい痙攣を伴う40度の高熱、そして全身を流れる汗に依り、40日間で68kgの体重が37kgにまで減ってしまい、まるでミイラのようでした。幸いにも私自身が強く望んだ開腹手術に依り病名が判明し、肝臓を手術することにより奇跡的に全快できました。私はこの事件で、人間一人では何事も出来ないことに気付きました。これが翌年昭和44年8月(1969)に設立したトーホーポリマー㈱の経営方針のひとつになりました。トーホーポリマー㈱の現在の発展は、勿論社員一人一人の努力の賜物ではありますが、本日ご列席下さった方々のお助け無しには考えられません。

  1. 材料メーカーの方々
  2. 材料販売会社の方々
  3. 金型メーカーの方々
  4. 機械メーカーの方々
  5. 建設関係会社の方々
  6. 金融関係の方々
  7. 協力工場の方々
  8. 我社の製品を販売して下さってる方々

以上でお分かり頂けたことと思いますが、本日は長年に亘り、我社を全ゆる面から支えてきて下さった方々のみ御招きしている次第でございます。

昭和63年(1988年)10月25日

株式会社設立30周年御挨拶

拝啓 盛夏の候、益々ご清栄のことお喜び申し上げます。日頃は格別のお引き立てに預かり、有難く厚く御礼申し上げます。

さて、弊社はシリコーンゴム製品専門メーカー(旧 高桑製作所)として、昭和42年4月に創業され、翌々年にはトーホーポリマー株式会社として名称変更し、法人化されました。創業より30有余年、設立30周年を迎えることができました。たった一つの材料を用いてこのように長年成長し続けてこられたのは、シリコーンゴムが素材として卓越した性能を有することも一つの理由として挙げられますが、もう一つの理由として弊社がゴム部品メーカーとして常に最先端の技術及び生産技術の誇りを持ち、且つ市場のニーズを先取りし、新用途を開発し続け、同業者の先を歩んできたことが言えると思います。

昭和48年、世界で初めての液晶小型電卓が日本で初販されましたが、これに弊社のシリコーンゴムコンタクトが採用されたことは、現在のあらゆる部門に使用されているシリコーンゴム コンタクト、即ち金属スイッチからゴムスイッチへの幕開けでした。その後、TV、AV、空調機のリモコンのスイッチボタン、電話器(卓上、携帯)のプッシュボタンスイッチ、コンピュ-ター用キーボード、電子楽器の鍵盤用アクチュエーション導電スイッチ、自動車用ナビゲータ、オーディオ、エアコン、電動ウインドウ、格納式ナイトミラー等々、今やスイッチ部門でシリコーンゴム製品が使われないところを探す方が困難であるほど普及しました。コンタクトラバー以外でも、航空機、重電、医療、食品機械、事務機器、ゲーム機など数え切れない種類のシリコーン製品が使われています。一口に30有余年と申しますが、弊社もここ数年間言葉では言い表せない苦渋を経験しました。しかし皆様の御援助により見事立ち直り、今後の見通しは非常に明るいものにあります。

この機会に是非申し上げたいことが御座います。トーホーポリマーの現在迄の発展は、材料メーカー各社、金型メーカーからの高精度の金型、顧客、商社、各種金融機関の絶大なるご援助によるものであるということです。今後もそれらなしには弊社は発展できません。2000年を新生トーホーポリマーの初年度として、これからもどうぞ宜しく、ご指導、ご鞭撻を伏してお願い申し上げます。

敬具
平成12年(2000年)8月吉日

【高桑眞生 略歴】

1934年(昭和9年)4月19日
杉並区和田で生まれる。台東区根岸国民学校を越境入学を経て卒業後、杉並区和泉中学校入学、卒業。
1952年(昭和27年)
長谷川真牧師より堀ノ内キリスト教会にて受洗。
都立京橋化学工業高等学校卒業後、中央大学法学部入学、同大学工学部に転籍。
特待生として東京大学理工学研究所で1年間学んだ後、昭和32年3月工学部工業化学科卒業。
大手ゴム製品製造メーカー入社後、技術部長を経て退職。
1967年(昭和42年)4月
33歳で東京都墨田区に夫婦で「高桑製作所」創業。
シリコーンラバー成型製品の開発及び製造を開始。東邦化学の工場を夜間ま借りする。
1969年(昭和44年)8月
株式会社に改組。
社名をトーホーポリマー株式会社とする。資本金120万円。
1973年(昭和48年)2月
導電性シリコーンラバー開発
導電性シリコーンラバーの開発にともない、世界初のCOS化ポケット電卓に採用された為、コンタクトラバーの量産体制確立。
1983年(昭和58年)4月
フランスのトムソン社からの申し入れにより、スペインに合弁会社TOHO OREGA S.A.設立。バルセロナに工場を設営。
1986年(昭和61年)10月
那須トーホーポリマー株式会社を設立。
那須トーホーポリマー株式会社本社工場を栃木県南那須町(現 那須烏山市)に設立。
1990年(平成2年)12月
スペイン合併会社の全株買取。
新社名TOHO POLYMER EUROPE S.A.と改称。
1995年(平成7年)6月
那須トーホーポリマー株式会社解散。
1995年(平成7年)11月
トーホーポリマー ヨーロッパ バルセロナ工場閉鎖。
2011年(平成23年)9月
がん治療後の後遺症のため第一線を退く。
2012年(平成24年)6月
役所からの要介護認定のため長男、真英に代表権を譲る。
2013年(平成25年)2月22日
くも膜下出血が原因にて召天(御年78歳)

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